僕が考える「五十歳の僕」

賭勝正夢

遠視気味なので50才で既に疲れない眼鏡を導入している

途中で脱落しなければ、十五年後には五十歳。二十歳からの十五年間はアッという間だったので、多分五十歳もアッという間に来るんじゃないだろうか。
そんで、その時もやっぱり、自分のためにぼちぼち漫画を描いてると思う。
以前に、母校で授業をするという内容のテレビ番組で、荒俣宏が「何でも三十年続ければモノになる」という感じの話をしていた。もしそれが本当なら、適当にしか取り組んでない僕でも、五十歳くらいには漫画がモノになってるかもしれない。
モノになった自分の漫画がどんなものなのかはまったく想像すら及ばないが、だから楽しみでもある。

二十歳を目前にした頃のことだったか、友達と将来について考えていた時のこと。
まぁ、だいたい四十一歳が寿命だとしたら、あと約二十年で何ができるか、どんな作品をものしていくか、なんて話をしたことだった。そういう風に考えると、意外に大したことはできなさそうだった。もっと真面目に描かないと、すべて間に合うことは能わないという感じだった。

だけど、結局今日までダラダラ暮らしてきた。
多分、これからもそうしちゃうに決まってる。
(≧っ≦)ゞ

寿命を、仮にとは言え四十一歳に設定した僕だけど、もし元気に四十代を過ごせてしまったら、もう後は勢いで古来稀な七十までは元気に暮らしたい。だって、四十代って何だか人生のうちで一番困難そうだから。それをせっかく乗り越えられたトコでぽっくり死んだらツマラナイ。
よって、五十になった僕は、大いにやる気を出している筈だ。

ところで、現在の僕についてだけど、この歳−三十代半ば−になったって、まだ自分が何を本当にやりたいのかが判らない。
せめて五十歳になった時には、とうにそれが判明していて、立派に邁進できているといいなぁと思うんである。