【四十五億人分の咆哮】

作/賭勝正夢


咆哮菌(オタケビア)


ちょいと下品な話である。いや、でも僕はただ下品とは言えないんである。と言うのもあれは、単なるメタンガスの逆流ではなく、人間の不満の逆流と勘ぐれなくもないからだ。ま、これは余談に過ぎないのだけど……。


 今日もまた信兄が、ニヤニヤしながら僕の部屋へやって来た。
「やぁ、宏。面白い物が出来たんだ」
山部信明、僕の実兄だ。頭はいいらしいのだけど、一年中大学院の研究室で、変な実験ばかりやっている。
この間なんかは『成長促進剤』ってのを作って、若いベンジャミンを一鉢枯らしてしまった。要するに、促進させ過ぎたんである。
「今日は一体何をしようってのさ」
僕はもうウンザリして訊いた。
「今日はね、宏の足りない背に『成長促進剤』を……」
「いらないーっ!! この気狂い! いくら僕の背が足りないったって、十九にして老衰なんかヤダよっ!!」
「冗談だよ。」
信兄はあっさりと言った。
「今日は新しいプロジェクトの説明をしようと思ってね」
「新しいプロジェクト?」
「そう、これ以上画期的なのはナイだろうという大プロジェクトなんだ」
得意気に言うと信兄は、一枚の図を広げた。
「何だ、世界地図じゃない」
「そう。今度の企画はちょっと大っきいの」
「一体何すんの?」
「ふふふふ。」
信兄は笑った。
「見たまえ、これを」
出て来たのはゴム栓のはまった試験管だった。
「この中に入っているのはバイオテクノロジーの申し子だ。ちなみに作ったの僕ね」
「え? 何?」
「まぁ言ってしまえば細菌なんだけどね」
「げっ!! 細菌って言うと……」
僕はひきつった。
てっきり細菌兵器か何かかと思ったのだ。何せビッグな企画と言うんだから、大戦レベルかもしれないと思ってしまったのである。
言っておくけど、これはちっとも大袈裟な発想じゃない。信兄は自分の研究の事となると、前後の見境がなくなるのだ。
 その証拠と言っては何だけど、僕は卵を生むことが出来る。これは信兄が考えついた『生羽薬』という、背中に羽根が生える筈の薬の生体実験(おぞましい)に使われた為だ。
僕には天使の羽根は生えなかったが、代わりに卵が出て来る様になった。と、言っても、発生力ある卵ではなくて、体内に入った必要以上の栄養素が、単に排泄されるのではなく、卵形の固体となって出て来るようになったのである。
いくら自らの産物であるとはいえ、気持ち悪いので食べてみよう等と思った事は一度もないが、これで金魚も猫も小鳥も犬もちゃんと養えるのを、信兄が証明して見せてくれた。
 そんな酷い目にもあっている僕だから、てっきりこれを、危ない細菌だと思い込んで不思議は無かったのである。
しかし信兄は言った。
「ああ? 兵器じゃないよ、これは。」
僕が胸をなでおろすと、信兄は続けた。
「咆哮菌というのだ。通称オタケビアね」
「オ…、オタケビア…?」
「そう。この菌はいったん体内に入ると、ものすごい勢いで気体を作るんだ。気体と言ってもまぁ、体内で出来るんだからメタンぐらいなもんだけどね。そういう訳で、ゲップが出るんだけれども、これがなかなか豪快でね、キョーレツな音がするんだ」
「きょ、強制的にゲップを出す菌ってこと?」
「そう」
「そんなもんで何しようってのよ!?」
僕は叫んだ。
「落ち着いて話を聞きなさい。ゲップが出る時に、このオタケビアは一気に増殖して散らばるのだ。実験では、半径五十メートル以内にいる人間には必ずうつってる。感染速度は距離に比例にしているが、ともかく誰か一人がこれに感染する事によって、だいたい五分と経たないうちに、少なくとも日本中の人間が叫ぶ事になる筈さ」
「じょ、冗談!? そんなことしたら世界中の人間がゲップが止まらなくなってしまう!!」
「はは。」
と、信兄は簡単に笑った。
「残念。オタケビアはけっこう弱い菌なんだ。側に人が居ない場合、暫く空気中に漂う事になるが、それが長引くと簡単に死んでしまう。それに、一度体内にオタケビアを取り入れた人間には、すぐに立派な抗体が出来てしまうんだ。従って、こいつでゲップが出来るのは、どんなに頑張ってもたった一回きりなんだよ。」
僕は呆れて、返す言葉を失った。しかし、それには気にもとめずに信兄は話を続けた。
「えー、そこで正規のビッグ・プロジェクトがおこるわけだ」
「こんなもんで、何の企画をやろうってのさ?」
「うん。都心にある騒音計で、最高何ホンまで出るか、計測するんだ」
「ばかかぁーっ!!」
 そんな事、本当にやってみなくたって、これまでの実験からの推測でわかりそうなもんだ。それに、あんな大雑把な騒音計なんかで、正確な数値など計測出来る筈がない。何でそんないい加減な騒音計をわざわざ使いたがるのかも理解出来ない。
とにもかくにも阻止しなくちゃ、と思って、信兄の手から試験管を引ったくった。

−−と、思った瞬間に、僕は大きくゲップをしていた。
「うげげっ!!」
「やた☆」
信兄が叫んだ。僕の手には試験管のゴム栓だけが、握られていた。
「しまったーっ!」
僕は窓を閉めようと飛び付いた……が、遅かった。
すでに窓の外では郵便屋さんが、
「ぼげーっ!!」
と、盛大なゲップを放ち、続いて隣の美人の女子高生が目を白黒させて、
「きゃぷぷっ!!」
っと、堪えきれない気体の逆流を何とか呑み込むべく焦っていた。
僕はたったの十秒の間に、どっと疲れて頭が重くなった。
「信兄!!」
振り返ると居ない。本当に都心の騒音計に向かったに違いない。そういう男なのだ、僕の兄は。それにしたって間に合う訳がないのに。
僕は一人、その場で頭を抱えた。

 その日、ニュー・ポウストにいて仕事をしていた雅美の話だと、とりあえず都心は大嵐だったそうである。ゲップの嵐なんて、想像しただけでも耐えられない(僕は繊細なのだ)。そうそう、もちろん信兄はその瞬間に立ち会う事はできなかった。
 ところで、腑に落ちない事がある。何故か未だに、時々色んな所でゲップの嵐が起こるのである。信兄が言った通り、咆哮菌はごく弱い。それに、信兄の弁を信ずるならば、彼はあの日に散らばった物以外には、菌を培養していなかったと言う。すると、これはどういう事になると言うのだ。オタケビアはもうこの地上にはないはずなのに!!


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